なぜ中小企業にこそ“コンプライアンス経営”が必要なのか?── トラブルを起こさない組織づくり

中小企業に求められるコンプライアンス経営

“コンプライアンス経営”は「守り」ではなく「攻め」の戦略

多くの人が「コンプライアンス」と聞いてまず思い浮かべるのは、「法令を守る」「不祥事を起こさない」といった“守り”の姿勢かもしれません。特に中小企業においては、「うちのような規模の企業には関係ない」「まだ必要ない」といった声も少なくありません。しかし近年、コンプライアンス経営こそが、むしろ“攻め”の経営戦略として企業の価値を左右する重要な要素となっています。

その背景には、企業を取り巻くステークホルダー―社員、取引先、金融機関、求職者、さらには自治体や地域社会までが、企業の「組織としての健全性」に注目する時代に変わってきていることがあります。最近は信用調査の一環として、社内ルールの整備状況や意思決定プロセスまで見られるケースも増えており、選ばれる会社であり続けるための前提としてコンプライアンス経営が欠かせなくなっています。

実際、ファミリービジネス(同族経営)においても「ガバナンス強化」の動きが加速しており、2025年度には経済産業省が「ファミリー企業向けガバナンス指針」の策定を予定しています(読売新聞 2025.3.31掲載)。これは、企業が持続的に成長するためには、“後継者がどう経営に参画していくか”“経営の意思決定がどう透明化されているか”という視点が不可欠であることを示しています。

つまり、今後の中小企業に求められるのは、属人的な経営や“なんとなくの判断”に頼らず、「組織としての意思決定・行動のルール」を整え、社内外に信頼される土台を築くことであり、コンプライアンス経営は、トラブルを避けるためだけでなく、“選ばれる企業”になるための土台として避けては通れない対応事項となってきます。

中小企業における“コンプライアンス経営”のギャップと課題

中小企業では、柔軟な組織運営や現場の裁量が大きな強みとなる一方で、それがコンプライアンス経営を難しくする要因にもなります。

特によく見られるのが、業務の属人化や口頭ベースでの指示や判断の多さです。社員数が少ない、家族経営である、長年の関係性が信頼のベースにあるといった環境では、“空気を読む”文化や“暗黙の了解”によって業務が回ることも少なくありません。しかし、明文化されたルールや意思決定プロセスが存在しないと、「何が正解か」が人によって異なり、判断に一貫性がなくなります。これこそが、コンプライアンスリスクの温床となるのです。

実際に中小企業で起こりやすいリスクについて、経営者や管理職の方が理解しておくべきポイントについてはこちらの記事(パワハラと指導の境界線は?中小企業が知るべきハラスメント対策)もご覧ください。

さらに、ファミリービジネスでは、家族の中の常識と組織としてのルールの間にズレが生じやすいとも言えます。例えば後継者の選定や経営判断について、家族内では当然とされていることが社員にとっては不透明な意思決定に映り、不信感やモチベーション低下につながるリスクもあります。こうした状態では、万が一トラブルが発生した際にも判断の根拠や意思決定のプロセスを説明することができず、被害の拡大や信頼の失墜を招きかねません。

いま中小企業に必要なのは、こうした“曖昧さ”に自覚的になることです。「うちは小さい会社だから」「昔からこうやってきたから」といった思考は、成長や変化を阻む構造的なリスクが潜んでいるかもしれません。

「経営の見える化」こそが、コンプライアンス経営の第一歩

コンプライアンス経営を実現するうえで最初に取り組むべきなのが、「経営の見える化」です。これは単に情報が共有されている状態ということではなく、意思決定の過程やルールが誰にとっても理解できるかたちで可視化され、運用されている状態を指します。

経営会議等の設計と記録

経営の透明性を高める上でまず着手すべきこととして、経営会議等の仕組みづくりが挙げられます。どのような議題をどのメンバーで話し合うのか、どの頻度・タイミングで実施するのかといった基本設計を明確にし、会議を「思いつきの場」ではなく、意思決定を記録・蓄積していく重要なプロセスとして位置づけましょう。

また、口頭でのやりとりだけでは後から振り返ることもできないため、しっかりと記録をとり、形式的であっても継続して開催することで、経営の意思決定に一貫性が生まれます。

議事録による意思決定の可視化

上述の通り、経営会議等で話し合われた内容は議事録として記録・共有することも重要です。議事録には、会議の開催日時、出席者、議題、検討内容、最終的な決定事項を明記し、誰でも確認できる状態しておきます。こうすることで、「なぜこの方針になったのか」「どのような背景があったのか」を第三者にも説明することが出来るようになります。

特に、後継者や新たな管理職が参画した際にも、過去の経営判断を理解することができるため、ファミリービジネスにおける世代交代のスムーズな移行にもつながります。

承認フローの整備と明文化

もう一つ重要なこととして、社内の承認フローの整備があります。経費の支出や契約の締結、人事に関する決定事項など、一定の判断が必要な業務に対して、誰が・どの順番で承認するのか、どの金額・内容であれば誰の決裁が必要なのか、といったルールを明文化しておきます。

これにより、特定の人物の判断に依存せず、組織としての一貫した対応が可能になります。また、トラブルが発生した際にも、「どのプロセスで決定されたか」を説明できるため、社内外への信頼維持やトラブル拡大の防止にもつながります。

以上のように、シンプルなルールと日々の継続的な運用さえ実現できれば、特別なシステムや人員体制がなくても「経営の見える化」は可能です。

リスクを起こさない組織設計とは

中小企業の多くが直面する課題の一つに、「トラブルが起きてから慌てて対応する」という後手のリスク管理があります。もちろん、トラブルが起こった場合にしっかりと対応をすることも必要ですが、本来のコンプライアンス経営は、トラブルが起きた後の対応ではなく、そもそも“トラブルが起きない状態”をどう設計するかに重点を置くべきです。この考え方こそが、いま必要とされている「予防設計型の法務」です。

※ハラスメント等トラブル発生時の適切な対応についてはこちらの記事(ハラスメント防止のための服務規律と企業の対応策)をご覧ください。

予防設計型の法務とは

従来の法務対応は、何か問題が発生したら弁護士に相談し、損害を最小限に抑えるという“事後対応型”が主流でした。しかし、これでは根本的な問題の解決に繋がっておらず、繰り返し起こるトラブルの対応に追われ、時間もコストもかかり続けてしまいます。組織を継続的に成長させていくためには、出来るだけ未然にリスクを排除する“予防型”の仕組みが重要です。

ハラスメントや情報漏えい、労務トラブルの多くは、明確なルールの欠如や曖昧な組織文化が原因です。また、相談窓口も機能していない場合が多くあります。事前にルールを整備し、適切に運用し、現場からの声を拾うことができる体制作りをすることができれば、これらのリスクはかなりの確率で防ぐことができます。

理念の浸透と育成がリスクを防ぐ

リスク予防というと、「ルールをつくる」ことに目が向きがちですが、それ以上に重要なのは、そのルールの背景にある「理念」や「価値観」が現場にまで届いているかどうかです。

経営理念や社是があっても、それが現場の行動につながっていなければ、意味のない標語に終わってしまいます。顧客第一を掲げながら、現場では無理な納期対応が常態化しているような状況では、いずれ労務トラブルやサービス品質の問題が発生してしまうでしょう。

理念を行動に落とし込むためには、教育や対話の機会を定期的に設け、社員一人ひとりが「なぜこのルールがあるのか?」を理解し、納得して行動できる環境を整えることが大切です。

まとめ|コンプライアンス経営が企業の“未来の形”をつくる

ここまでご紹介してきたように、コンプライアンス経営とは単に法令を守るための“守り”の手段ではありません。むしろ、社会や顧客から”選ばれ続ける会社”であるために欠かせない”攻め”の経営戦略です。

中小企業においては、「うちの会社にはまだ早い」と考え、また人も時間も不足していて後回しにしてしまっているケースも多いかと思います。しかし、組織が小さいからこそ、ルールが曖昧なまま放置されやすく、その結果として思わぬトラブルにつながることもあります。

持続可能な組織運営に必要なのは、問題が起きたときに慌てるのではなく、「あらかじめ仕組みにしておく」ことです。経営会議等の導入、議事録の記録、承認フローの明文化といった見える化の取り組みは、誰にでも始められる“第一歩”です。また、現場の声を積極的に拾える体制や理念の浸透や社員育成の仕組みづくりを通じて、単なるルールの整備にとどまらず、社員一人ひとりが納得感を持って働ける組織風土を築いていくことも、リスクを未然に防ぎ、強い会社をつくる重要な要素です。

今一度、社内に健全な疑問を言える場があるか、社員がルールによって守られていると感じられているかを、是非見直してみていただけますと幸いです。

執筆者:弁護士 吉野 誉文